目の潰れた猫とおばあさんと
今日家の前を通りかかった時、子猫が目をつぶって座っていました。
近づいてみると、全く逃げる様子がありません。
普段野良猫に逃げられてばかりなのでこれは…(・∀・)と思い少し触ってみると全く抵抗しません。首を掻いてやると気持ちよさそうにもたれかかってきます。
でもその猫は、目をつぶっているのではなく目やにがひどく出ているせいで目が開けられないようでした。
よく見るととても痩せ細っていて、子猫だと思ったけど体が小さくなりすぎた成猫なのかどうかわからないほどです。鳴き声も弱々しく、かなり衰弱しているようでした。
どうしよう、近所に動物病院はあるのか、この子の治療をしてもらったらいくらかかるのか、猫アレルギーの私がこの子を抱えていけるか等、様々な問題が頭をかけめぐりながらなにもできず佇んでいると、1人のおばあさんが近づいてきて
「さっきその子にイワシをやったんだけど、全然食べてないのね。こっちはどうかしら」
と手に持っていたドライフードをその子に与えました。
確かに猫のそばにイワシの切り身が置いてありましたが、全く手を付けてないようです。そのおばあさんはたまたま通りかかってその弱っている猫を見つけ、イワシをやった後、心配になって家から引き返してきたようでした。
でも猫はイワシもドライフードもそばに近づけても全く食べようとしません。
私が目が潰れて多分なにも見えないんですねと言うと、おばあさんは持っていたブランケットに猫を包んで、近所の動物病院に連れて行くと言います。
猫が少し暴れておばあさん1人では抱えきれるか心配だったので私もついていくことにしました。
体力が弱っているのに不安のせいか力の限り暴れる猫を2人でなだめながら、徒歩10分ほどのところにある動物病院に行きました。
道すがら、目が見えないのにどうやってあそこにたどり着いたのか、人懐っこいからきっと捨てられたのだろうと話して、その時おばあさんが言った「1つの命なのにね」がずっしりと響きました。そんな言葉散々TVや映画で聞いてきたはずなのに。
病院に着いた時間は休診中だったのですが、そこの院長はとても快く対応してくれました。
まずノミが酷かったので、無料でノミ取りの薬をつけてくれました。
院長曰くその子は2,3歳ほどの成猫で、風邪を引いて目やにが酷く鼻も詰まっており、餌が見えないし匂いがわからず食べられなくなっているとのことでした。
点眼薬で目やにを流し、鼻水も除去して、ようやく目が開きました。私やおばあさんをしっかりと見ていたので、目は見えるんだとひとまず安心。
目やにをある程度拭きとって、ペースト状の餌をスプーンにのせて猫の口元に近づけましたが全く食べようとしません。院長が自分の指に餌を付けて無理やり口に押し込むと、猫はやっと食べてくれました。
とりあえず餌が食べられないわけではないとわかって安堵の空気が漂いました。
ただまだまだ衰弱しているので、その場で点滴をしてもらい、院長に今後どうしたらよいか相談をしたうえで、おばあさんの判断で一日入院させて様子を見ることになりました。
目が見えるようになり、更に点滴で少し栄養が入ったせいか猫の鳴き声に力がこもってきました。幸い風邪の症状は軽く、回復までにさほど時間はかからないとのことでした。
費用は入院費も合わせて全部で6000円ほどでした。
おばあさんがお会計をしてくれて、私も半分出すと言いましたがおばあさんは気持ちだけで十分ですとお金を受け取りませんでした。
「きっと良いことがありますよ。猫を助けたんだから。今日したことは宇宙をめぐりめぐってあなたに返ってきますよ。私はもう80歳ですけど(見た目は60歳ほどの元気なおばあさんでした)、こんなに元気でいられるのは猫が見守ってくれているおかげだと思ってるの」
私は「情けは人の為ならず」を念頭において生きていますが(意外と間違った意味で捉えている人が多いのですが、人に情けをかけるのは、その人のためになるだけでなく、やがては自分に返ってくるので人には親切にしなさいという意味です。私が知っている中で一番良い諺だと思っています)、おばあさんの話を聞いてこれはなにも人だけでなく命あるすべてのものに対する行いも含まれるんだろなあと思いました。
私は宗教や占いなどは一切信じてません。おみくじも引かないし血液型占いなんかも大嫌いですが、良い行いも悪い行いも、因果が巡り巡って自分にかえってくるというのは信じています。
信じているというか、神様仏様に救われようとお経を唱えたりお祈りをしたりすることに時間を割くぐらいなら、自分に負担がない程度で良いことをして、その後自分に良いことがあった時に「きっとあの時良いことをしたからだ」と思ったほうが生きやすいかなと。身も蓋もない言い方ですが自分にも周囲にもメリットが生まれやすいですよね。
ただ、私だけだったらきっと何もできなかった。せいぜい近所の、よく野良猫に餌をやっている店の前に連れて行くことぐらいしかできなかったでしょう。
そのおばあさんはよく弱っている猫を助けてやっているそうで、助けるだけでなく避妊手術をしたうえで貰い手も探してあげているようでした。
私は猫が大好きですが、そこまで行動したことがありません。猫アレルギーというのもありますが、可哀想な猫を見るのが耐えられず、目を背け続けてきました。
おばあさんは私に「猫を助けた」と言ってくれましたが、病院に連れて行くことも入院させると判断したのもおばあさんで私は何もしていません。
猫が好きなくせにいざとなると何もできない臆病で非力な人間です。
今日はそんな自分の嫌な部分をまざまざと見せつけられた日でした。
今後も、弱っている猫を見つけても必ず助けてあげられる自信はありません。
でも、これからは目を背けるのではなく、自分の行動力、決断力の無さを自覚したうえで、自分ができることはなんのかを考え、できると思ったことは最大限やろうと思いました。