-身体をなぞる意味-サカナクション「ユリイカ」PVと歌詞の分析
1月15日に、サカナクションの両A面シングル「グッドバイ/ユリイカ」が発売されました。
昨年の12月28日に「ユリイカ」のPVが一足お先に公開されたのですが、最初観た時えらい面食らいました。あ、あら!?あれ!?みたいな。
こういうのです↓
サカナクション - ユリイカ (MUSIC VIDEO) - YouTube
裸の女性の足からお尻、背中にかけてスライドしていくカットから始まり、終盤は山口さんが裸で横たわる女性たちの体をなぞっていきます(!)。
「芸術性を追求しすぎて遂に裸体に走ったか…」と思いましたが、そんな表面的な話でも無さそうなので、歌詞と照らし合わせながらなぜ山口さんが裸の女性の身体をなぞる必要があったのか分析してみようと思います。
(以前分析した「アイデンティティ」以来の、分析欲を掻き立てられるPVでした)
ちなみに、山口さんはラジオで
インパクトのあるミュージックビデオにしたかったていうのがあったんですね。なぜかというと、紅白に出演したということで、たくさんの人にサカナクションを知ってもらうから、興味を持った人はまずYouTubeで検索するだろうなと思って、検索した時に最初に出てくるミュージックビデオはこの「ユリイカ」だと、そこで結構な数が間引かれるだろうと(笑)。これをみて、"あ、嫌い! "って思う人は、きっとサカナクションの音楽にそこまで入り込めない。でも、あれをみて、"うわ、面白い! 素晴らしい" って思ってくれた人たちは、きっと他の曲を聴いてもサカナクションの音楽がいいと思ってくれるだろうと予想して、今回は戦略的にインパクトのあるミュージックビデオを制作したわけです。
と話していて、確かにインパクト重視の要素も多分にはあると思うのですが個人的にはそれも1つの要素に過ぎず、もっと深いテーマを孕んでいると(勝手に)感じたので別の面から分析します。
まず、このPVは大きく分けて
・東京の街並み(外の世界)
・裸で横たわる女性たちと山口さん(山口さんの精神世界)
の2つのシーンに分けられますが、もう少し細かくすると以下の6つに分類できます。
・横たわる裸の女性たちのスライドショット
・フラッシュ的に挟まれる東京の街並み
・山口さんを正面から捉えるショット
・太極拳の稽古をしている山口さん
・手を洗う山口さん
・女性たちの身体をなぞる山口さん
歌詞も東京をテーマにして書かれたものです。(全文はコチラ)
まず女性たちのショット。
全裸の女性たちが絡み合いながら横たわっているところを左から右へ、または上から下へずーっとスライドしていきます。
裸体の海にぎょっとしましたが、皆さん向こう側を向いているのと絶妙なポージングのおかげできわどさは無く、華奢な体つきの方しかいないのでいやらしさも皆無です。(よね?)
そんな流れるように写される女性たちのカットの合間合間に東京の街並みが挟まれます。
こんなのとか(新宿歌舞伎町ですかね)
こんなのとか(ここはどこだろ…渋谷??)
ラジオ番組で山口さんが
女性の身体のラインっていうのが、感情の起伏、心のダイナミクスを表現しています。あと、東京のビルのシルエットも。電車とかから景色を見ると、ビルの街並が流れて行く様が動くでしょう。それと、女性の身体のラインを重ねてみたりとか、いろんな意味があるんですけど。
と言ってたらしいんですが(YouTubeのコメント欄から拾ってきちゃいました)、それ読んでしっくり来ました。
都心の電車に乗ってると基本高層ビルしか見えなくて、その合間合間に空が見えたり東京タワーが見えたりしますよね。
女性の電車から見える景色が見事に再現されています。
ちょうど
ここは東京
空を食うようにびっしりビルが湧く街
という歌詞に重なるように東京のショットが入ってますし。芸が細かい。
そしてそれらに混じって入りこんでくる山口さんのショット。
ただ佇んでいるだけのように見えますが、よく見たら目を瞬かせたり、口元が生唾を飲み込んでいるような動きを見せていたり微妙に落ち着きがありません。
この後女性の身体をなぞるんだからそりゃ緊張するよな('∀`)とか思ったんですが、このPVには多分無駄なものは1つもないのでこの微妙に落ち着きがない様子にも意味があるはず。
とりあえずそこは置いといて、2回目のBメロに入ると、山口さんがパッと見太極拳の稽古をしているような動きを始めます。
ここでも左から右への動き。
この太極拳運動のシーンに、女性のショットと東京の街並み(主にビル)がフラッシュ的に挟まれます。
この構成のおかげで、これは太極拳の稽古ではなくビルをなぞるような動きをしているんだとわかります。
そしてビルと女性の身体が交互に映し出されることでイメージが重なり、ビルをなぞる=女性の身体をなぞるという連想につながります。
後に女性の身体をなぞることになった根拠を提示しているんですね。
じゃあなんでビルなぞんの?という疑問が湧いてくるんですが、ここで太極拳の前の2回目のAメロの歌詞に注目してみます。
なぜかドクダミと
それを刈る母の背中を思い出した
ここは東京
蔦が這うようにびっしり人が住む街
君が言うような
淋しさは感じないけど
思い出した
ここは東京
それはそれで僕は行き急ぐな
ドクダミが出てきたのは、山口さんがこの曲を制作している時に体調を崩してしまい、ずっとドクダミ茶を飲んでたらしいのですが、その時にふと「ドクダミを刈る母の背中を思い出した」からとのことです。
山口さんは北海道の小樽市出身でメジャーデビューと共に上京しました。
お母さんがドクダミを刈るようなのびのびとした環境で育った山口さんの、東京に対する感情はなかなか複雑で揺れ動いているようです。
そんな山口さんの東京観がよく表れているなと思うのがアルバム「アイデンティティ」に収録されている「モノクロトウキョー」の歌詞。
(全文見たい方はこちらをどうぞ)
チチっと舌を鳴らして呼んだ野良猫
走り去りすぐ影の中に消えたんだ
午前5時の都会は妙にゴミ臭い
空が少し湿って曇り始めました
東京
モノトーン
憧れ
フルカラー
多分東京に対して憧れがあって、でも実際の東京はモノトーンに近くて、それでもフルカラーの美しい東京を夢見て、…的な感じでしょうか。
私もド田舎出身のお上りさんなのでその感覚よくわかります。
ユリイカのPVの東京のショットも、夜の東京タワーのような美しいものからゴミの山のような汚いものまで使われていて、東京のありのままの姿(=山口さんが見てきた東京)が映し出されています。
「生き急ぐな」と自分に言い聞かせながらも、「風が吹く度生き急ぐ」不安定な感情を持つ自分と向き合い、同時に憧れとゴミ臭さの交じる自分が住む東京とも向き合うことでなんとか自分なりの生き方を「発見(ユリイカ)」するんだ…みたいな。
そう考えるとビル(=女性)をなぞる行為の意味も見えてきます。
東京と向き合うというイメージを、ビルをなぞる(東京に触れる)という行為に託したんじゃないかと。
女性の身体をなぞる前に手を洗っていますが
自分を清め、まっさらな状態になったうえで東京に触れるんだという意思表明のシーンなんじゃないかと思います。
そしていよいよ女性の身体をなぞり始めます。
グッと唇を噛みしめて丁寧になぞっていく山口さん。
(本来なら変態の極みみたいな行為ですが、このPVの山口さん、モノトーンの映像とメガネと黒いシャツのおかげで去勢されてる感が半端無くて、全くいやらしさのかけらもない、自分の作品を丹念に磨いている陶芸家のような印象を受けます。)
何かと向き合う行為というのはとても辛く、でも中途半端にやっても意味が無い。とことん理解できるまで向き合わないといけません。
山口さんの表情・動きからは、痛みを伴いながらも真摯に向き合っている姿勢が読み取れます。
そして身体をなぞっている時に流れている歌詞がこちら
時が震える
月が消えてく
君が何か言おうとしても
ここまで、歌詞の中に登場する「君」の存在を無視してきてしまいました。
歌い出しに
いつも夕方の色
髪に馴染ませてた君を思い出した
とあるので、恐らく身近な、どちらかというと親密な(だった?)女性を差していると思われます。多分、故郷にいた時の恋人のことかな…?
ビルに遮られずに夕陽を浴びる「君」が、山口さんが故郷を出る時に淋しいと伝えた、でも山口さんは特に淋しいと感じなかった。
その時のことを思い出し、やっぱり淋しいとは思わないものの、ここは「君」がいない東京ということを改めて実感した…みたいな。
歌いだしには「夕方の色」とあり、最後は「月が消えてく」とあるので、夕方と夜明けという対比が生まれています。
夕方~夜というのは「自分と向き合う」沈み込むイメージを、夜明けは「向き合った結果、答えを発見できた」前向きなイメージを連想させます。
「月が消えてく」という歌詞とシンクロするように、女性の1人が腕を上げ、それに沿って山口さんの手も上に向かい、月が消えて日が昇るところを連想させます。
でもそうして向き合った結果の答えは歌詞には提示されていません。
PVでは、山口さんは丁寧に丁寧に女性の身体をなぞった結果、
女性たちはただ横たわっていたのではなく、「EUREKA(ユリイカ)」という文字を形作っていたことを発見しました。
なぞったからわかったんです。PVを観ている私達も、ひたすら身体をなぞる山口さんを辛抱強く観て追体験したからこそ最後のショットに辿り着いたわけです。
発見を発見したってなんだかよくわからなくなりますが、そうやって身体をなぞっていけば(向き合っていけば)答えを発見できるんだよ、いう意味なのかなあと思います。
答えを発見するための道標を示してくれたというか。
今回の歌詞は全体的に物凄い個人的だけど、誰にでも通じるような、普遍的なところにまで言及している感じがしました。(個人的なこと、自分の手が届く範囲で起こった出来事を歌っているのに普遍的・哲学的なニュアンスを入れてくる宇多田さんの歌詞に近いものを感じます)
「ユリイカ」の歌詞を書いている時、山口さんは自分が創りたい曲を作るのではなく求められる通りの曲を書くことに慣れた自分に嫌気が差し、歌詞を書きたくない、音楽を作りたくないレベルまで達して全身に蕁麻疹が出たりしたらしいのですが、それを乗り越えてこの曲を生み出したと(シングルリリース直後のラジオ番組でその時のことを話してる時に泣いちゃうぐらい辛かったみたいです)。
TOPアーティストとして音楽に携わる限り東京からは離れられないから、音楽について悩めば悩むほど東京という存在も迫ってくるんじゃないかなあと思いました。
誰でも1度や2度は痛みをこらえながら自分と向き合い、その都度打ちのめされながらも乗り越えてきた経験があると思うのですが、それって痛みを経験しないと乗り越えられなかったし、こればっかりは他人に共感してもらうのは無理だと思います。
結論は、女性の身体をなぞるという、大胆な行為をするぐらいの心持ちで自分と向き合って現状を打破するための自分なりの答えを見つけていかなきゃダメなんだということを伝えたい曲なんじゃなかいかなあと思いました。
リアルに不安定な自分をありのまま描き、そして突破した山口さん。今後どういう曲を出してくれるのか益々楽しみです。