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人の目を気にしながら生きる

人の目が気になりつつも自由に思ったことを書いているブログです

何だってわかる。自分以外のことなら ― 園子温『ヒミズ』感想(ネタバレ含む)

寒い。寒すぎます。

未だに暖房なしで過ごしていますが、フリースとヒートテックのみでやり過ごせるのもあと少しかなという季節感になってきましたね。

 

ここ最近映画づいていて(というのも近所のTSUTAYAで2週間ぐらい新作旧作関係なく半額で借りれるチケットが抽選で当たったからなんですが),

引きこもって邦画洋画問わず観まくっておりました。

 

その中でずっっっしり心に残ったのが園子温監督の作品群。

以前、4時間にも及ぶ大長編映画『愛のむき出し』を観てとんでもない爪痕を残され、それ以来気になってしょうがなかった同監督の他3作品を一気観しました。

今回観たのは『冷たい熱帯魚』、『恋の罪』、『ヒミズ』。

ご存知の方ならお分かりかと思いますが全てスーパーヘビー級なので現在HPは0です。むしろコンディション的にはpoisonです。

 

どれもこれも重くのしかかってきましたが、中でも「ヒミズ」が訴えてきたことはかなり引きずっています。


映画『ヒミズ』予告編 

 

各方面から大絶賛されたらしいのですが、私は物語自体はそんなに好きにはなれませんでした。主役二人もそんなに魅力的に感じなかった…更に東日本大震災を無理やりねじ込んできた感が否めず、監督が伝えたいこともわかるんですがこのようなフィクション映画に実際の被災直後の映像を入れるのは少し軽薄な印象を受けました。

でもそこを抜きにしても、この映画は十分すぎるほど破壊力のあるメッセージが詰まっています。

 

上に張った予告編見れば大体わかると思いますが、あらすじを簡単に言うと、ボート屋を経営する母親と2人で暮らす中学生の住田は、このままなんにも起きない普通の暮らしを願っていたが、母親が男と家を出ていったことで天涯孤独となり、更にアル中の父親が金をせびりに来ては暴力をふるい、精神的に徐々に追い詰められていく住田少年は父親殺しという取り返しのつかない罪を負い、世直しのため包丁を入れた紙袋片手に、生きている価値のない人間を殺す為に街を徘徊する…という感じです。

 

(※ここから下はあくまで私の感想であり雑感なので、断定してる文も多いですが決して分析とかではありません。)

 

住田少年は冒頭から自分は普通だと断言し、このまま何の起伏も無い普通の人生を送るんだと話していましたが、誰がどう見ても物語が始まっている時点で彼も、彼の環境も普通ではありませんでした。

 

授業中たびたび奇特な発言をしてクラスから浮きまくっている住田少年、ストーカー並に住田少年を追い駆けまわしこれまた奇特な発言満載のクラスメイト茶沢景子、貸しボート屋を経営しながら男と遊び歩いている母親、「お前、本気でいらねえんだよな」と笑顔で語る父親、震災で家をなくしボート屋所有の湖の横にブルーシートで作ったテントを張り生活する中年夫婦と老人たち…

明らかに破綻要素満載の状況の中で、住田少年は本気でずっとこの「普通」の暮らしを維持していきたいと願っていました。

 

そもそも普通というのはどういう状態なのか、何を以って普通というのか、定義するのはとても難しいと思います。

だって自分の家族や友達や恋人などそれなりに親交のある人で、普通の人だなあって感じる人、いますか?

その人の個性を知ればもうその時点で自分にとっては唯一無二の存在になり、普通の人ではなくなります。

逆に言えば普通というのは、客観的な視点のことだと思います。

自分にとって街を歩いている人たちは(よっぽど変な格好して無い限り)皆普通の人です。facebookのプロフィールだけを見ると、ほとんどが普通の人です。

中身をよく知らない人たちは自分にとっては全員普通の人です。 

 

そうなると、自分を普通だと言い切る=自分を知ることを放棄したということと思えます。

自分を普通だと思うのは、それは自分を知らないから、更に知らないことを知らないからです。

他人にも自分にも姿が見えないヒミズ(もぐら)になりたいという住田の言葉は、彼を象徴しているようです。

そんな住田少年に対し、茶沢は執拗にヴィヨンの詩の「軽口のバラード」の一節を繰り返します。ちょっと引用してみます。

 

牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる

どんな人かは、着ているものでわかる

天気が良いか悪いかもわかる

林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる

樹脂を見れば木がわかる

皆がみな同じであれば、よくわかる

働き者か怠け者かもわかる

何だってわかる、自分以外のことなら。ー

 

この詩は本当にグッときました。

そうなんですよね。いくら知識をつけて、経験を積んでも自分についてはなにもわからない。むしろ更にわからなくなっていきます。

 

劇中、町中で「俺は誰なんだよ」と叫びながら突然刃物で人を切りつける通り魔が登場し、更に同類の人間が何人も似たような凶行に及びます。

あんな田舎町でそんなしょっちゅう通り魔起きるってどんだけヨハネスブルグ度高いんだよ…というツッコミは置いといて、自分で自分を見つけることを放棄し、赤の他人に問いかけ、答えが返って来なかったから刃物を振り回す、その姿はただわがままを聞いてもらえず泣きわめいている子供そのものです。

彼らは無知の知にたどり着いたのに、答えを導き出す努力をせず勝手に絶望しました。

 

一方 住田には、自分を知るきっかけを与えてくれる人間がいました。住田に向かって「普通じゃないよ」と繰り返し、住田に現状を把握させようとする茶沢景子や、「お前には腐るほど道があるのに勝手に自分を追い込んでる」と優しく諭すやくざの親分、住田を希望の存在とし、多大な犠牲を払ってまで住田の窮地を救ったホームレスの老人夜野…

住田は一旦はそれらをフルシカトしますが、徐々に徐々に彼らの言葉が効いてきます。

 

母に捨てられ、父を殺したことで、あれほど願っていた普通の暮らしから遥か遠くにいる現実の自分にようやく気付いた住田は、「こんなごみ以下の命でも立派に使ってみたいと思う」と、世直しと称して先に書いた通り魔のような生きる価値のない(と自分が判断した人間)を殺すため街を徘徊します。この時点で住田は初めて普通じゃない自分と向き合い、自分の意志で行動を始めます。

しかし彼は自分の意志通りの行動ができません。生きる価値の無い人間を殺せないのです。むしろ通り魔を死にものぐるいで捕獲しそれ以上被害が広がるのを食い止めて、客観的に見るとただの良い行いをしました。 

 

諦めて家に帰ってきた住田を、茶沢やテントの住人たちは温かく迎え入れ、ささやなかなパーティーを開きました。

彼らとの楽しい時間を過ごしながら、住田は劇中で初めて笑顔を見せます。

それは初めて彼から人間らしい温もりが現れた瞬間でした。

 

 その後、住田と茶沢は2人で「普通」の将来を語り合います。結婚して、子供ができて…みたいな。それは2人にとって遠い、現実味の無い未来ですが、だからこそ「普通」である感が強く強調され、更に2人が本気でそれを願っている気持ちが痛いほど感じられる場面でした。そして恐ろしいほど希望に満ちたエンディングを迎えて映画は終わります。

 

 結局のところ、住田は父親を殺したあと、自殺することを前提に、「おまけ人生」として日々を過ごしていましたが、最終的には生きる選択をしました。周囲の人間の言葉や、ささやかだけど楽しいパーティーを経て、生きていれば楽しいことがあるかもしれない、生きていれば普通の暮らしができるかもしれない、生きていれば希望はある、そんなことに住田は気付いたのだと思います。

 

 結論は月並みになってしまっていますがこの映画からは、自分のことを一番知らないのは自分なんだから、勝手に自分で道を閉ざすこと無く、何があっても希望を持って生きて行け、というメッセージが伝わってきました。

こんなに常軌を逸した映画から感じたのがそんな普通のものなの!?と言われてしまいそうですが 私はそう感じましたとさ。感想終わり。

 

 他にもエディプスコンプレックスの要素なんかもあるのかなあと思いましたが、ちょっと書ききれる自信が無いのでやめときます。

 

園子温監督の最新作の『希望の国』は震災後の日本が舞台のようで、これも気になります。気になりますがこういうドラマ系はDVDでいいやって思うので気長に待ちます。それよりエヴァQをあと2,3回は観なければいけないので。(今の時点で2回観ました)

 

 

 

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